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自動車メーカーが別ラインとして高級価格帯商品を出すことが多い中、アストンマーティンは設立当初から高級志向の車づくりを主として一貫して行ってきました。
品質を重視し、デザインも全く妥協しないモノづくりの精神には多くの賛同者がおり、大量生産大量販売のマスマーケットとは異なる独自のマーケットを目指しました。
しかし、経営効率を顧みない製造方式は実際には厳しく、倒産に追い込まれます。
その後、利益になりにくいレーシングカーの生産をやめ経営再起を図りますが、第二次世界大戦勃発により市場の縮小が起こり、再び危機が訪れます。
一度はどん底まで落ちかけた会社でしたが、戦時中は軍用機の部品の製造に専念することで会社の存続を守り、その後別会社の傘下に入ることで資金面も安定していきます。
また、アストンマーティンがここまで有名になった理由には、ボンドカーの追い風があったからと言っても過言ではありません。
映画007シリーズで主人公の愛車としてアストンマーティンの車が使われたことにより、アメリカ市場で売り上げを大きく伸ばしました。
この時がアストンマーティン史上の全盛期と言われています。
ここで気になるのが、何度も経営危機に直面しても一貫して高級価格帯を貫いたビジネスモデルは、現在は成り立っているのかということです。
アストンマーティンのブランドを守っているのは、その品質にもありますが、近年のレストア事業にも答えがありそうです。
レストア事業とは、今までに生産された商品を修理・修復することで再び使ってもらえるようにするものです。
この事業により2014年の調査では歴代モデルの実に9割が実用可能状態で存在しているとか。
この事業も相まって、投機目的でアストンマーティンが人気を集めています。
中古自動車が出回れば出回るほどレストア事業も活きてきます。
実用性もあり、価値も落ちにくいとなれば買いかもしれません。

1914年、イタリアの都市ボローニャでマセラティの歴史は始まりました。
機関士の父を持つマセラティ兄弟によって、自動車工房「ソシエータ・アノニーマ・オフィチーネ・アルフィエーリ・マセラティ」は設立されます。
当初はレーシングカーの整備・製造を主とした会社であったことから、次第にレーシングカーのブランドとして名を広めていきました。
しかしマセラティも現在の姿になるまでにはいくつもの困難がありました。
度重なる資金難は小規模の自動車会社には大きな打撃であり、大手との資金力の差に悩まされていた時代も長く存在していました。
特に第二次世界大戦中はレーシングカーのような娯楽要素の大きい自動車需要は激減しており、苦しい状態になります。
とは言え、多くの自動車会社が倒産や廃業して消えていく中、買収や共同を繰り返しながらマセラティの作りたいブランドを100年もの間守ってれたのは真の価値があったからではないでしょうか。
今では世界トップクラスのラグジュアリーカーとしての地位を確立しています。

市販されているスポーツカー・レーシングカーで最も有名な車を聞かれるとフェラーリと答える人も多いのではないでしょうか。
子供も知っているほどの知名度とブランドを完成させている理由は、ブレないモノづくりへの思いからでしょう。
フェラーリは設立以降一度も4ドアセダンを作ったことはないことで知られています。
※セダン,,,,前向き二列の座席を持つ箱型の乗用車。四〜六人乗り。
4ドアセダンを作る理由のほとんどは単純に需要が高く利益を上げやすいビジネスだからですが、それに手を出さないのはフェラーリのスタンスにあるようです。
フェラーリの創立者はレーサーのエンツォ・フェラーリであることは有名です。
ただ、レーサーであるが故、当初のフェラーリは性能やデザインは優れていたものの、公道での乗り心地は重視しない車でした。
もちろん今では公道での乗り心地も考えられて生産されていますが。
また、価格も高級路線であるため、所有できる人はかなり限られています。
このような経緯から他の自動車メーカーと同じように、ビジネスモデルに苦労しそうなイメージもありますが、実はフェラーリは今まで広告を打ったことがない(広告費をかけていない)ということでも有名です。
もし雑誌などでフェラーリの写真の入った広告もありますが、それはディーラーが出している広告で、フェラーリ社が出しているものではないです。
フェラーリはもともとレースの資金を作る目的で市販車販売を始めたこともあり、市販車業界でシェア拡大したいという経営理念ではないのです。
狙って出来る戦略ではなさそうですが、売り込みをしないことで唯一無二のブランドを確立しました。

実はポルシェの始まりは自動車メーカーではなく、デザイン会社でした。
フォルクスワーゲンの自動車を設計したフェルディナント・ポルシェによって1931年に会社が設立されました。
ポルシェが自動車会社として販売を始めたのは息子フェリー・ポルシェによって製造販売が行われた時からで、設立から実に15年以上も後のことでした。
しかも、この時もエンジニアリングデザインの仕事は続けており、メルセデスベンツなどがクライアントだったようです。
ポルシェはデザイン力のあるカーメーカーとして話題に上がってくる常連ですが、最初がデザイン会社だったことを考えると納得されます。
特にポルシェは「曲線美」素晴らしく、アジアのメーカーにはない感性を感じられます。
またポルシェは高級価格帯の自動車メーカーでありながら販売台数も比較的多く、ラインナップもそろっているのが特徴でしょう。
その理由は、手を伸ばせば届くか届かないか絶妙な価格設定からかもしれません。
人生で一度は乗りたい車の一つにいかがですか。

ランボルギーニは、フェラーリの性能に不満を抱いてオーナーが改良したことから始まったのは有名な話でしょう。
ランボルギーニの創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、トラクターの製造販売を行い成功を収めたため、巨万の富を手に入れました。
その財産でフェラーリを購入したことからランボルギーニ誕生の話が始まります。
当時のフェラーリは故障も多く、オーナーであるフェルッチオも悩まされていました。
そこで自身もエンジニアだったことから改造を行うことに。
スポーツカーも乗り心地の良さを高めるべきだという思いから、自身で自動車ビジネスを始めます。
当初はフェラーリなどと比較されると評価は良いとは言えないブランドだったようですが、今ではランボルギーニとして絶対的な好評価を受けています。